蔓延防止も終わってますが、町が復活するにはそれなりの時間が必要なようです。最近ではウクライナとロシアの件もあり、世情は日々変化していますね。マスコミはまだコロナコロナの合唱の連呼ですが、この2年くらいは何だったのでしょうか?私もブログでご縁ある人には気づいてもらいたいと思い町医者の立場から書いてきました。専門家と称する人たちのように細かなメカニズムへの是非なんか論じる知識はありませんが、これまでのブログで書いてきた内容はほぼ修正する必要のないもののようです。時々メンタルや心という話題を交えて書いてきていますが、先が読めるかのような書き方が出来た第一の理由は、この「心」「考え」「思考」「認識」「想念」とか表現されるものへの洞察の故です。表現こそいろいろですが、指しているものは同じです。禅についても時々書いてますが、禅の急所もそこです。ちなみに禅は自らの実践であり体験であり、何かにお頼み申すようなものではないです(笑)。

ところで、この2年間私が捉えていたコロナへの視点を、専門家の立場から、医者じゃない方々にもわかりやすく披露してくれている動画を見つけましたので、ブログに取り上げたいと思います。やはりYoutubeでは削除は必至ですので、ニコニコ動画からです。視聴は1時間以上ですが、非常にわかりやすく免疫反応を将棋戦に例えて語られている内容は必見で、これはワクチンというものを考えるにも必要な知識です。もう抗体を上げれば何とかなるという机上の空論から目を覚ます時だと思います。「歩」のない将棋は負け将棋(どこかで聞いたような・・)なわけで、ワクチン打って自然免疫を落とすとは、その歩のない将棋です。話は変わりますが、将棋と言えば小学校を思い出します。先生が優しかったのでしょうが、休み時間に将棋をして、駒はそのまま後ろの棚に忍ばせ、授業が終わったらまたその続き。そんな事もしてました。別日には、近所の先輩の親父と将棋をして大笑いされながら負けて悔しい思いをしたり、懐かしいものです。昭和世代ですから。無駄話は置いておいて、さっそく必見の動画をご紹介します。大阪市立大学医学部の名誉教授の井上正康先生です。

下のフレーズをクリックすると動画が視聴できます

対談  井上正康先生と語る”コロナとワクチンの全貌”

井上正康名誉教授  スライドによる講演  2022.3.27

ほんと総復習になる動画かと思います(後でスライドを使った講演も下段に追加しました。)その視点から眺めた時に、以前からブログに書いています3つの障壁、つまり中央の政治家、官僚、マスコミが課題です。経済的な面ではすでに外圧で相当な部分まで落とされている現状、この3つへは厳しい目を向けねばならないのは確かなようです。毎日接するTVなども鵜呑みは禁物。先ほど「心」「考え」「思考」の話を書きましたが、この障壁はコロナ禍だから生じたものではありません。コロナ禍で明白になってきたというだけです。どんな集団も根っこは人です。ならば人への洞察が大切なのは明らかです。私見ではありますが、精神的成長を成し遂げていった先人たちの言葉を借りるなら、人にとって最も困難な課題とは、自分が固執している考えを手放すという事のようです。一見お金や物に執着しているように見えても、深く洞察すると実はその「考え」であるとわかります。自分の握っている一つの考えを手放し転換させるとは別の人生を生きるに匹敵すると表現している先人もいます。コロナ禍の中で名立たる政治家が口先だけで行動が伴わない場面を数々見てきましたが、ひとえにこの「人の握る考え」を変化させるというのが至難の業だからです。世界を動かしている大資本家と言われる人たちもその点は同じで、彼らの中で転換が起こるような一喝が起こりにくいだけに、マネー主義の中で、同じ臭いを流し続けるというわけです。

以前から私はブログで日本精神という表現をしつつ書かせてもらっていますが、非常に曖昧で捉えどころのない感じに映るかと思います。戦前からの歴史的事実を語る評論家の方や、時々ブログでも紹介している馬渕大使もこの言葉を使われます。私は、コロナ禍から昨今のウクライナ問題など世情への洞察の一助になるための表現として使っています。私が使う「日本精神」の意味合いをご紹介したいと思います。

それは”目に見えない”考え・心・精神といったものを”目に見える”物質・身体的なもの以上に軸に据えるというスタンスです。霊という表現もありますが、偏見を避けるためにここでは「考え・心・精神」という用語を使います。しかしスピリチュアルの方では同じ意味合いで、「霊主体従」という表現もあります。一国の首相が対外的なものを決断することから私たちの日常の決定まで、相互のやり取りにおいて日本人として忘れてはならないものがあるように思います。それは”精神を持つのが人であるという大前提”に立ち、決定に際しては、対面で話し合うという時間をもち、そのために汗を流すという事です。集まった物理的情報だけで決断したり、マスコミや官僚通達のような一方向性の決断伝達というのは、先ほどの精神というスタンスとは真逆のものです。しかしここで注意して頂きたいのは、その時間を持ったから相手に迎合するというものではありません。双方に考え方・意識水準の違いなど立場が違いますので、今回のウクライナのような流れになることもあります。しかし対面とは現場であり、それを設けることで仕草や表情・その人の根本的考え方などを受け取ることができますので、決断への布石としては雲泥の差になります。しかしここで重要になって来るのが、「誰がそれに臨むのか」という点です。問題が深刻であればあるほど、精神が大きく揺さぶられる場面となるでしょうから、当事者の生き様や腹の出来具合が問われることになります。マネー主義の中で我良し精神で生きている人か、侍みたいな腹の出来た人なのか?江戸の無血開城から昭和の終戦まで国が大きく動いた陰に、禅僧が関わっていた事実はご存じでしょうか?終戦の玉音放送の有名な「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の一文には、山本玄峰老師の影響が。

老師が当時の鈴木貫太郎氏に「力で立つものは力で滅びる。金で立つものは金で滅びる。徳で立つものは永遠じゃ。一国の総理になる人は、世の中の善い面も、悪い面も知り尽くした人でなければ勤まらぬから、あなたのように素直な、正直な人には向かないが、こういう非常時にこそ、金も名誉も要らぬ尽忠(じんちゅう)無私(むし)の人が要るのです。」と首相就任を勧め、鈴木首相はその就任にあたり、「今日、私に大命が降下いたしました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります。」と表明されたようです。その流れの中で終戦決定の御前会議前には老師から鈴木首相に、「これからが大事な時ですから、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、体に気をつけながらやって下さい」という手紙が送られ、それが先ほどの玉音放送の文言に繋がったとの事です。

話が少し脱線しましたが、禅には一切唯心造とか心外無法という言葉があります。用語から察しが付くかと思いますが、課題は「心」という事です。そんな「心」を携える人の世界ですが、相手も心を携える人であるという大前提で対面でコミュニケーションへ汗を流す、これが日本精神の核かと思います。その結果として様々な結論に至ると思いますし、場合によっては縁のない結果になることもあるでしょう。しかしその対面を通してお互いの考え方・意識レベルの把握が可能となりますので、時間的経過を考えた場合は、結論以上の益をもたらします。対面のコミュニケーションを見ていると、先ほどの「心」を携える人同士としてのものと、結論だけを通達するような一方向性のものがあります。自分サイドの主張を通すには後者の方が楽なわけで、法律や役所の通達のようなものがコレです。しかしよく観察すると日常の場面でも、人は自分に都合がよいように、或る時は「心」を携える人の観点でものを話し、別の時は決定事項かのように物質的側面のみでものを話したりしています。その辺を会話でどう扱うかは、当事者の我良し精神との関わりから出るものですが、この2つの識別が洞察という点では非常に大切なのではないでしょうか。特に政治家や官僚等、国を動かすとトップになればなるほど、大難が小難になるかどうかはその出来不出来にかかっているかと思います。そしてそれが出来るだけの腹を持った人物が相応しいというのは、玄峰老師の先ほどのお言葉からも読み取れます。時々書いてます「禅」ですが、こんなご時世だからこそ、国のトップには”坐禅・瞑想”の一時を日常の中に持ってもらいたいと私は思います。

先ほどの識別の話の続きですが、ウクライナとロシアの問題にしても、日本の問題として捉えた場合は、拙速に結論を出すのではなく、まず両国に対して対面で汗を流したかどうか、そこで何を洞察したか、米国や西洋諸国の外圧や流れだけで一方的に結論を出し続けているだけだとしたら、浅はかとしか言いようがありません。コロナ禍の流れを振り返っても、大臣クラスでも後者の状況でしかないと思われる場面が非常に多いように感じたからです。先ほども書きましたが、「心」を携える人同士の会話であるという視点が対面の大前提ですので、結論ありきを唐突に持ってくる動きは、対面からの逃げや自我の主張を暗に表現します。対面にて織り成される経験全体が双方に理解をもたらしますので、結論結果と同じくらい、対面で汗を流すことは大切なことかと思います。観点や意識の大きな違いが洞察できた場合に、不成立という結果になるのは自然な流れで、中途な迎合は傷口悪化の一因にもなります。全てが「対面の汗」ありきです。最近では「コミュ障」という用語まであるようですが、この言葉自体は首から上にポイントがあるようですが、先ほどの内容を加味すると、首から下・腹、日本人なら是非そこにも意識を向けてもらいたいと思います。よく理屈・屁理屈といった用語も日常会話で出てくる事もあるかと思いますが、一方が「心」を携える人の視点で会話を進めている時にもう片方が事実・物質的事実を唐突に提示したり、逆に客観的事実だけで進めている時に、己だけ「心」を携える人と言う立場を持ち出したり、この不釣り合いが相手には屁理屈と映ることになります。反映の出所は「我良し精神」ではないでしょうか。

今回は、臨床的な内容はほとんど書いていませんが、コロナ総復習のお勧めの動画がありましたので、ご紹介しました。是非、これからの将棋は歩を大切にしてもらいたいと思います。

少し診療について書きます。たるみ治療のベビーハイフ「ベレーザプロ」の見出しが出来ましたので、画像のみ紹介させていただきます。また内容は別の機会にと思います。暖かい季節になってきました。日焼け止め塗ってでも天気の良い日は散歩等、ビタミンDの活性化をお勧めします。